2012年2月15日水曜日

バンクラル 2012

Es Urgente Que El Reine

.M.(創立者)の列福式もあと数十日になって参りました。メキシコ地区では総長様初めそれに携わっているシスター達は喜びの内にも目が回る忙しさで走り回っています。皆様はどうぞ沢山のお祈りで応援して下さい。
さて、先日11日のバンクラル誓約更新の日の様子を分かち合いたいと思います。
軽井沢修道院からシスター全員、大泉修道院からシスター3人、飯田修道院からシスター1人が参加して下さいました。11時より長崎教区の下窄神父様司式(以前よりバンクラルでお世話になり、皆様の希望により実現)のミサには誓約者が36人集まりました。又書面での誓約者は21人、そして終生誓約者牧島さんも参列、誓約者の御家族や関係者たちを含めて聖堂いっぱいの人々でした。ミサ後、数人のシスター達とバンクラリスタの大内葉子さんが「バンクラルの会則」を訳して下さり、パウロ会で本にしたものをお一人お一人にお渡しいたしました。
これは日本語として全部できたのは初めてです。各支部の図書に入れて戴き、皆様も読んで下さる様お願い致します。序文から始まって、101の項目まであります。内容は非常に深く霊的で組織的です。私達宣教クララ会員にも役に立つものです。是非一度は通読して下さい。
2時 より修道院の食堂で、炊き込みご飯、から揚げ、ケサディージャ、フルーツポンチェ、お菓子、お茶、コーヒーなど軽食でしたが、皆家庭的雰囲気の中で楽しく おしゃべりして過ごしました。その後、聖堂に戻り、神父様より「信仰の年」に当たっての講話に続いてヌエストラ・マドレ(創立者)の列福式への準備として ホームページを見ながら少し説明を致しました。
すべては午後3時ごろ終わり、次回の集まりを楽しみに解散致しました。写真を少し隣のスライドショでご覧ください。

インフルエンザが流行っています。くれぐれも皆様お気をつけて

2012年2月13日月曜日

歴史 3



創立者は1953年、宣教クララ会と協力して、宣教活動をしたいと望む信徒のため、信徒宣教師会「バンクラル」を創設。

1979年には「普遍的教会のためのキリスト宣教師会」も創設。

1981722日午後7時、ローマ総本部において静かにその清い霊を御父に渡し、生涯の奉献生活を全うした。

1951年、メキシコで創立された御聖体の宣教クララ修道会は、1969年本部をローマに移し、世界に向けて宣教活動を展開して行った。

1951年・・・メキシコ、日本

1952年・・・アメリカ

1959年・・・コスタリカ

1960年・・・シエラレオーネ、インドネシア

1965年・・・イタリア

1967年・・・スペイン

1972年・・・アイレランド

1976年・・・ナイジェリア

1987年・・・韓国

1992年・・・ドイツ

1993年・・・インド

1994年・・・ロシア

2002年・・・アルジェンティン

歴史 2




1944823日、宣教修道女を志願した5名の修道女とともに、観想修道院に別れを告げ、クエルナバカ市で新しい生活を始めた。困難は大きがったが、6年後には修道女の数は92名に達し、1951622日、教皇庁直轄修道会としての認可が到着。ここに「御聖体の宣教クララ修道会」が生涯を閉じるまで続けられた。

創立者は、宣教会創設が確定するやいなや、かねて計画していたように認可の3ヶ月後、日本に向けて4名の宣教女を派遣した。その後、アメリカ、インドネシア、アフリカなどに、続々と宣教女を送った。  (後記、参照)

本会の目的=神の光栄と、会員の聖化、またキリストのみ国の発展のため、創立者のカリスマに沿い、会憲に従い、貞潔・清貧・従順、福音に生きる。そして、主である神と全人類の母、本会の保護者であるグアダルペの聖母が、すべての人に知られ、愛されるように務めること。これらの目的は、具体的には次のように生かされる。ミサを中心とする時課の典礼、 教皇と司祭のために絶えず祈ること。 キリスト教国、 非キリスト教国での宣教。児童、成人のカテケジス。医療、保険衛生の仕事、青少年の教育、女子寮、黙想の家。

本会の精神と霊性=精神は、宣教的、聖体的、司祭的、マリア的。その基礎は、み旨への一致である。 そこから沸き出る喜び、単純、信頼に満ちて生きる。

創立者に出会ったことのある人は、彼女の中に喜びと単純が輝いていたという。また、遺言の中に「神への信頼に生きること以上に、私にとって快いことはありません」とあるように、彼女は生涯のとのような時も、神に対する深い喜びと信頼に満ちていた。

歴史

 御聖体の宣教クララ修道会の創立者、御聖体のマリア・イネス・テレサは、1904年、メキシコのナヤリ州イストラン・デル・リオ市に生まれ、20年まで信仰に熱心な両親と兄弟姉妹とともに、恵まれた家族生活を送った。1924年、メキシコ市で行された聖体大会に参加した折、「愛である神が、逆らうことのできない力で私を引きつけ、私の唯一のあこがれは神を愛すること、すべてを神に捧げること」という召命を感じたが、その直後、メキシコ国内は宗教迫害の嵐が吹き荒れ、望みの実現はすぐには不可能であった。
 19296月「アヴェ・マリア」と呼ばれる聖クララ修道院(観想会)に入会し、同年128日、修道服を受け、以来16年間、祈り、犠牲、愛徳、及び与えられた仕事に全力を尽くしながら、誓願の誠実な遂行に自分を捧げた。しかしその間、彼女の心の中に、神のみ国を広めるために「直接宣教」への望みが生まれ、宣教会を創立するのが神のみ心であると確信し、修道会の上長にその望みを打ち明けた。大修道院長は心から賛同し、協力を惜しまなかった。教区の司教も修道会創立のために、聖座への手続きなど積極的に推し進めてくれた。

2012年2月10日金曜日

 
このビデオがYoutubeで見つかりました、皆さんと分かち合いたいの...ぜひ見てください。

2012年2月2日木曜日

祈り

あなたの教会を導き支える聖なり父よ、あなたは、イネシアンファミリーの創立者、忠実なはしためである御聖体のマドレ・マリア・イネス・テレサに誉をお与えになります。
彼女は、キリストのみ国を広めるための宣教の熱意にあふれ、観想と活動の中で喜びと単純さを貫きました。
私たちがその宣教的愛徳を模範とすることが出来ますように。また、彼女の取次によって、_____________今日、あなたに信頼をこめてお願いする恵みを私たちにお与えください。アーメン。
イネシアンファミリーの創立者
主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱