2018年2月24日土曜日

膝で祈る グァダルぺの聖母のもとへ


膝で祈る
グァダルぺの聖母のもとへ

                       

シスターM



・・・・私は見ました・・・・


メキシコ市にあるグァダルぺの大聖堂で・・・・       
どこの国でしょうか 膚の色は違いますが足早やに吸い込まれるように走り行く人々、

車椅子,又他の人に支えられながら足どりは重そうに、しかし顔と目が微笑んでいる人、老夫婦が杖を突きながら・・・・支えあいゆっくりとマリア様に向かって歩いている。若者のグループがリュックを背負って、次のミサにあずかる為に座り込んで待っている・・・・・

・・・・私は見ました・・・・



膝で祈る姿→赤ちゃんを抱き、跪きながら石畳みをゆっくり一歩一歩前進し、母親は荷物を手に心配そうに後につづく・・

・・・・私は思い出しました

12歳(中学生)の頃、確か読売新聞の片隅に、“膝で祈る”というタイトルで小さな記事が載っていたのを不思議と覚えていました.跪いて祈りながらこれは一体誰向かってどこに行くのでしょうか・・・? そのまま思い出すこともなく時は過ぎた・・・~~

≁~~~それから何十年が過ぎ, 今私は膝で祈りながら、一歩一歩前進して50歩余り行くと、目の前に聖母のお姿が確認できました。中学生の時に見た新聞の記事を思い出しました。謎はとけ、私がここに来るまで道案内をして下さった多くの方々と神様の計らいに感謝。ようやく母に会えたのです。そして今まで導いて下さった方は母であるグァダルペの聖母ご自身に違いないと、思わずにはいられませんでした。



神の母終生おとめマリア様は、全ての人々の為にホアン・ディエゴのマントにその尊いお姿を残された(1531年)。このお姿に触れたとき、わたしはマリア様の温かな眼差しに吸い込まれてしまい、急に廻りの温かさが感じられました。この大聖堂を訪れるすべての人を励まし、慰め、支えようと優しい眼差しをむけられる聖母。

まもなく御出現500年を迎えようとしていますが、いつまでもいつまでもご無事で、すべての人の母でいて下さいますように。


★聖母とともに 
・口びるにほほえみを、魂に喜びを、心に平和を!(福者マドレ・マリア・イネス)      


2018年2月9日金曜日

立春


立 春

シスターL

 「春の兆しは空に現れ大地はそれにこたえる」菜の花が咲きました。来月になれば桜の花が咲きます。どうして花たちは咲く時がわかるのでしょうか。私たちの姉妹で代々農業を生業としているお父さんがいます。その姉妹が言っています。「父は気象博士だ」と。別にデータに頼るわけでもなく空を見て大地を見て農作物について決定していたのでしょう。勘のようなものは神様からのものではないでしょうか。耳を澄ませ心を静かにして聞く祈りのようです。

 「冬なんて嫌いだ氷で転んだしそれを男子に見られちゃったし」(朝日歌壇)私のような高齢者になりますと誰に見られようが見られまいが、「転ばないで、転ばないで」という言葉の中にいます。「ゆっくり、ゆっくり」と呪文のように唱えて動いています。そうしているうちに、こんなことは怠慢ではないか、と思ったりします。

人々は今まで物質的な豊かさを追い求めてきました。広大な家、高価な車など多くのものを持ち、たくさんの欲望を満たすこと、そのために日夜時間に追われる生活を送り効率の良いことを良しとしてきました。しかし今、節電が叫ばれ、エコロジーの生活、地球環境への配慮が求められ、人々は多くのものを持たず、少ないもので生活し、シンプルに行き、心豊かに生きることを追い求めるようになりました。新たな視点から、心の豊かさとは何か、幸せな生き方とは何かが、今問われているような気がします。
こんな短歌もあります「“寒いね”と話しかければ“寒いね”と答える人のいる暖かさ」サラダ記念日 俵 万智